日記にかわる4つのペダントリ

今日で、6月が終わりだ。 そして、今年も半分終わったことになる。 今朝起きて、カレンダが30日をさしているのを見て、 「今日は29日なのに、間違ってるじゃん。直さなくちゃ」 などと、思ってしまった。 もちろん、間違っているのが、僕だったのか、それともカレンダだったのかは、 今となっては、もう正しい答えを知るすべもない。 ただ、ひとつ言えるのは、真実はいつもひとつではないということ。

太陽とシスコムーンは好きではない。 あの、何かに取り付かれたような踊りが、 生理的に受け付けないという解釈もあるかもしれないが、 もっと本質的なのは、小湊美和の声が耳障りな感じがするということ。 モーニング娘。は好きだが、あとふたりメンバーを増やすのはいただけない。 エントロピーが増大すると、残るのは没落への道のみ。 ただ、ひとつ言えるのは、それでも矢口真里は良いということ。

画像ビューアのフリーソフトとして有名なものにSUSIEがある。 これは、SUSIEプラグインというシステムで、世の中にひとつのクライテリアを 作ったといっても過言ではない。 インターネット上には、数々のプラグインが公開され、SUSIEプラグインで 読めない画像フォーマットはないのでは、と思えるくらいだ。 残念なことに、SUSIE本体はしばらく更新されてなく、 obsolete な感がいなめない。 ただ、ひとつ言えるのは、 SUSIEプラグインが使える画像ビューアはSUSIEだけではないということ。 だから、最近は画像ビューアにViXを使っている。

ふと、思うことがある。 「忙しくて、充実してるかどうか考えるひまもない」のと 「暇があって、充実しないと悩んでいる」のと どちらが、より充実しているのだろう。 ここで、問題なのは、充実してることの本質は何かということではなく、 充実という概念が、明示的に提示するまでもなく、すべての人にアプリオリに 存在していると考えても良いのかということかもしれない。

ただ、ひとつ言えるのは、この世に永遠がなくなってから、 もう長い年月が流れてしまったということ。

選言的三段論法

突然降ってきたように、選言的だ。

「選言」とは論理学的には「あるいは」という意味だ。 しかし、こんな言葉、普通は使わんなぁ。 だいたい、「せんげんてき」なんて聞いても、declarative かと思うよ。

ところで、普通の三段論法は、こうだ。 「A→B、A ⇒ B」 しかし、選言的三段論法は、こうなる 「A∨B、¬A ⇒ B」

ここで、重要なことは、三段論法自体は論理的に正しいのだ。 一般的に、三段論法は論理的に間違っていると思われてそうで、かわいそうだ。 本当は、仮定が間違っているのだ。 「言葉の概念があるだけで安心する典型的なタイプだな。 原因究明おかまいなし」 こんなセリフがある漫画にあるが、言いえて妙である。

それで、普通の三段論法の例をあげてみると、こうだ。 「人間とはえてして天邪鬼である。友人Tは人間だ。よって、友人Tは天邪鬼である」 さらに、選言的三段論法の例をあげてみると、こうなる。 「太っている人は、幸せな人か、相撲取りである。  友人Sは相撲取りではない。よって、友人Sは幸せである。」

閉じていた翼なら広げてみよう

リップスティックが最終回だった。 よくわからんけど。

ところで、広末は早稲田に登校した。 大学生にしてはあたりまえだ。

じつは、非常に残念なことに、昨日は、11時半くらいから3時くらいまで、 うっかり寝てしまった。クリティカル過ぎる。 タイトルをつけるなら、「君のハートにクリティカルセクション」といったところか。

それにしても、日曜日の夜は、確率密度関数が極大値を示しているね。 つまり、F1が見れなかった。

匣の中の失楽 – 竹本健治

ミステリ史上に残る傑作と言われる、「匣の中の失楽」です。 最近の、いわゆる新本格などと呼ばれるミステリ、もしくはそれ以外のものでも、 よく名前が出てきます。 それは、本文中かもしれませんし、後書きの中でかもしれません。 いわゆる、ミステリが大好きな、ミステリを愛してるミステリ作家は、 少なからず、この作品にインスパイアされているということなのでしょう。 というわけで、読んでみました。 この作品は、しばしば「アンチ・ミステリ」などと、評されてきたみたいですが、 綾辻行人は、あえて、「本格ミステリ」と呼びたいといっている。 作中作と、現実を(もちろん、作中の)巧妙に絡み合わせて、 ミステリを構築している。 しかし、これを今、初めて読んでしまうと、衝撃をあまり受けないのです。 残念なことに。 本当は、これが21年も前に書かれた作品だというところが、すごいのでしょう。 狭義の本格にとらわれない、型破りなミステリがこの作品から始まったといっても 良いに違いありません(ほかの作品も読まない、かってな意見だけど)。

匣の中身

「匣の中の失楽」って作品だけど、あれだね。 何で、匣なんだろうね。みんな、匣が好きなのかな。 匣は、やはり、密室を現してるんだよね。 でも、他にも、こんな「はこ」もあるのに。「箱・筥・函・篋・匣」

しかし、FF8最大のミステリは、レインの息子がスコールってことだよね。 ムンバが怪我したスコールをなめて、「ラグナ」って言うシーンとか、 ラグナロクのブリッジで、 キースが「ラグナに似なくて良かったね」というシーンとか、 そんな、些細なことばかり気にして、最大のレトリックを知らされて驚いたのだ。

それだけではない。111の秘密の112番目がケダチクであることが、 単に、ポケステのランクAのIDを示唆していることに気を取られて、 実は、本質的には、 FF8の発売日は2月11日だという究極のレトリックに気がつかない。

人間というのは、こんなにも些細なことに踊らされて、本質を見失ってしまうのだ。 これでは、目が見えない人が、象を触って、鼻の長い生き物だと言ったり、 耳の大きい生き物だと言ったりするのを、笑っている場合ではないのだ。

閑話休題。 今日のASAYANは、モーニング娘が出ていた。 最近、太陽とシスコムーンばかりで、いいかげんうんざりしていたので、いいことだ。 それにしても、矢口真里は良い。 それは、くるぶしがいつまでたってもくるぶしなのといっしょだ。 もちろん、普通に言って、なっちがかわいいのではあるのだが。 そう、矢口真里には言葉では言い表せない魅力があるのだ、たぶん。 あと、飯田佳織がちょっとこわい。

ゲシュタルト崩壊

笠原弘子のSi Si Ciaoです。 懐かしいですね。よいですね。

ところで、VC++にサービスパック3をいれることにした。 やっぱ、こういうのは入れとかないとね。 しかし、なんだろう、このサービスパックって100メガショックなんだよね。 ちょっぴり、ダウンロードに苦労する。

しかし、レポートって出るよね。 某先生のレポートの締め切りは8月8日だ。 彼曰く。 「私は、毎年、8月8日を締め切りにしてるんです。  わかりやすいでしょ。ちょうど、終戦記念日だし」 おいおい・・・。 まぁ、しかし、彼にとっての終戦記念日なのでしょう。

あぁ、今日は、アキバに行ったのだ。 人が多すぎ。 だめね。

それで、何で、今日のタイトルがゲシュタルト崩壊かというと、 6月22日は夏至の日だったんだよね。 それで、「げし」から「ゲシュタルト崩壊」が思いついたのだ。 これって、実は、ゲシュタルトが崩壊するだけなんだよね。つまんない。 個人的には、崩壊のしかたが「ゲシュタルト崩壊」という名前の 特殊な崩壊かと思ってたんだけどね。

おまえは走り出す

Xです。紅はよいです。 「♪く~れない~にそ~まった、こ~おれを、 な~ぐさめ~るや~つ~は、も~いない♪」 いままで、たんぽぽをたくさん聞いていたので、「お色直し」って感じです。

そんなこんなで、ターンAを見逃してしまった。 軟弱なビデオデッキめっ!! ←軟弱なのは俺かも。

アヤツジユキト 1987-1995 – 綾辻行人

これは、小説ではありません。 綾辻行人が1987年から1995年に書いた小説以外の文章が集められています。 なんていうのでしょう、なにげにおもしろい。 ファン待望のクロニクルらしいです。 たしかに、ファンにはおもしろいが、それ以外の人には、お勧めできない本でしょう。

世の中は陰謀がいっぱい。

世の中には、陰謀がたくさん渦巻いている。 しかし、いつしか人は、陰謀があることに何の疑問も抱かなくなるのだ。 そう、年をとるのは悲しい。

しかし、世の中よく判らないことが多い。 だいたい、コンストラクタの中身をほかのコンストラクタの呼び出しにしておくと、 コンストラクタの呼び出しによる暗黙の型変換で、コンストの参照を作ったとき、 ちゃんとインスタンスが生成されないのだ。 なんでだろう・・・てゆーか、どこが原因なのかを考えるだけでもうんざりする。

I HAVE NEVER SEEN 見たことも無い

あれは、いつのことだろう。

はるか、むかし。とは言っても、たかだか3年前の12月。 初めてVC++を購入したときには、MFCなど難しくて、ちんぷんかんぷんだった。

そして、時は流れて、今。 あいかわらず、MFCは良くわからない。 いや、わかろうとする意気込み、 新しいものに対する意欲、別の言葉で言うなら「若さ」が すでに、無くなっているのだ。

しかし、人は言うだろう。 「過ぎ去っていった時間は、無駄ではなかった。」

・・・意味無いです。 だけど、ひとつだけ確実に思うことがある。 クラスに変数を追加するのに、 変数を追加するダイアログを使うのは間違っていると思う。 はじめて、VC++に触れたときは、すごい機能があるものだと感動したものだが、 よくよく考えてみると、こんな単純なことをわざわざダイアログで入力するのは・・・

それにしても、闇があるとなぜか心が引かれてしまう。 それは、光あるところには闇があるということに関係あるのだろうか。 日記とかで、たまに、 暗い過去-それでいて、形になっているもの-が書いてあったりすると、 それから、突然にして、その日記を読むのが特別な意味を持つような気がしてくる。

子供のころは、暗くて、登校拒否で、潔癖症で、 いつも、学校にはいかずに、家に閉じこもり、ことあるごとに手を洗っていた。 そう、あのころの私は、 貴重な時間と毎日1個の石鹸を無駄に消費して生きていたのだ。